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モーターサイクルについて:
「教習バイクは何だった?」との質問に、自信満々で「赤」と答えた彼女。自分では、完璧な回答だと思ったそうだ。

続いて、取得したてのバイク免許を持って、ハイヒール&ミニスカート姿の彼女が訪れたのは、とあるバイクショップ。
その結果、バイクはクルマとは全く異なり、二輪で転倒の可能性があると判明。以後、彼女がそのバイクショップを訪れることは二度となかった。
motorcycle touring company friendly family European tours farmhouse holiday homemade - それでも彼女が買ったのは、少なくとも2つの気筒を持つ、中古の青のホンダ。2気筒すなわち2本のマフラー:うち一本は左足、あとの一本は右足の向うずねを火傷させる為のモノだ。

このバイクに乗り続ければ、美容と健康を損なうことは明白だった。
その上、ライディングギアは全くセクシーでない。
そのため、彼女はバイクを完全に辞めてしまった。とにかくしばらくの間は。
motorcycle touring company friendly family European tours farmhouse holiday homemade - そして登場したのが、ディスクバルブ使用の単気筒バイク。
しかし、クラッチは滑るか、或いは固くて切れず、ピストンは停止し、キャブレターはうまく機能しなかった。
もっとも、バイク自体は「岩のように堅牢」だったのだが - 特に停止後は。
しかし、人は試行錯誤の過程で成長してゆくものだ。
そうそう、一番大切なことを言い忘れていた:このバイクは「グリーン」だった。
motorcycle touring company friendly family European tours farmhouse holiday homemade - ようやく、まともに機能して信頼できるバイクを求める時が来た。
その上、買って満足できるバイクだ:ホンダのクラブマン(又はクラブウーマン)。
単気筒、4ストローク、カムチェーン、放射状バルブ、8本のロッカーアームを装備。
PS? 知らない。
とにかく彼女には充分速く走れて、本当に楽しめるバイクだ。色? はっきり覚えていないが、ブリティッシュ・レーシング・グリーンの類だ。
motorcycle touring company friendly family European tours farmhouse holiday homemade - それ以後、バイクの数はどんどん増えていった・・・
motorcycle touring company friendly family European tours farmhouse holiday homemade - 我が家
その昔、フランクフルトに或る少女がいた。
彼女がどうしても絶対に「欲しくない」ものは、自分の持ち家だった。
それも、庭付きの田舎の古家など、とんでもない話。
ペットを持つなんて、まったく論外だった。

ちょうど都会での生活を満喫していた頃、遠い国から王子様がドゥカティに乗ってやって来た。
二人は様々な試練を乗り越え、6年越しの愛が実り、ついに結婚。彼は彼女の為に、遠く離れたウージンゲンという田舎町に、250年を経た一件の古家を購入した。
もちろん、庭とペット付きだった。

そして二人はその古家で、満足で幸せな生活を送った:石灰を踏み固め、アマニ油を塗り、しっくいをこねる日々・・・そしてそれを見守るのは、ネコ、ニワトリ、ハリネズミ、その他もろもろの動物たち。
骨が疲れ、筋肉は痛みを増すものの、ロマンチックで素晴しい我が家の完成図を思い描けば、苦労なんか吹っ飛ぶ。
もっとも、いつ終わるか先が見えないのだが・・・。

ここが大好き!
プロフィール:
10代の頃、生まれ故郷の北ドイツから、カラフルな大都市フランクフルトへ移住。
フリーランスのアートディレクターとして、エージェンシー、ブティック、クラブ、カフェ、陽光まぶしい並木道や大都市の公園で、クールでおしゃれなシティライフを送っていた。

しかしそのうち、地に足の着いた何かを求め、ドイツ語を勉強しようと決心。
シティの花は大学のキャンパスに移り、そこで文学とアート教育を真剣に学び始めた。
修士を取得したものの、しょせん実にならない専攻科目だ。
そのため、ハイデルベルグでPR理論のトレーニングを受け、Topcom Communication Ltd.で仕事を始めた。
勤勉な働きバチはコミュニケーション業界を飛び回り、それが実り、瞬く間にシニアPRコンサルタントに成長した。

このアートディレクター&PRコンサルタントはその後、人事マネジメントの分野にスイッチ。そこでも成長を遂げ、シニアのポジションを得た。
しかし、ヘッドハンターとして根を下ろしたくなかった彼女。
コンサルタントとしてのキャリアも徐々に終盤を迎え、髪には白いものが混じり出し、夜は次第に短くなっていった。

そして夜明けは教育の場に訪れた:彼女は再び新分野に移り、成人教育の為の私学で、アートとドイツ語を教え始めた。
現在のその仕事は、実りのみならず、喜びももたらしてくれている。

その喜びを教え子達と分かち合いたい、というのが彼女の願いだ。